ちょっぴり難しい表題ですが、Hulaに関わる人間としては、とても大切なことです。
大切なのは「気持ち」
それも、もっともっと深いところの「気持ち」です。
私の考えることを述べていきます。
Hulaの多くは、ハワイの物語に属する内容が多いですね。たとえば、Pele、たとえば、Lohiau、Laka、Hopoe、そして、Hiiaka。
現存する(した)か、しないかは別として、その物語からの
メッセージは、Hulaの基本であり、中枢であり、すべてなのです。
少し話がずれますが、私の考え(Keawahouの考え)は、「Hula=Alohaな気持ち」ではありません。
Hulaを理解し、知識にしていく過程において、よくばらず、やさしく、調和を考え、楽しく、謙虚で、我慢し、継続していくことが必要なのです。
つまり、Alohaそのものの考え方は手段であって、Alohaな気持ちを持つことが、目的ではない。ということ。これをまずは持ち合わせることで、次のステップである、物語の理解へと進みます。
物語は、日本にも古来から「昔話」「逸話」というものがありますが、それと同様です。諸外国にも、「グリム童話」に代表されるような物語がたくさんのこっていて、その多くは、実在したか、しないかは別として、人々の道徳心、社会性を学ぶツールとして、使われているケースもあります。
桃太郎や、金太郎、花咲爺さん、かぐや姫が、実際にいたのか?というとそれはわかりませんね。
ハワイの物語も同様。Laieikawaiという双子の姉妹が住んでいるPaliuli。そんな楽園は本当にあったのでしょうか?
「そんなのないよ」と言ってしまったら、その時点で、あなたにとってのHulaは終了です。
Hulaのハンドモーションは、あくまで、その物語を描写するMele(Oli)を表現によって補完するものであって、その物語を理解した状態で存在する「体」から湧き出てくる、とても深い「気持ち」を表現することです。
物語や逸話のようなハワイの歴史物語を、まるで子供が童話を読んだり昔話を読んだりする気持ちと同じ気持ちになれますか?
実質社会から逸脱し、いわば「精神世界」に近いフィールドで物事を表現できますか?
ハワイ人は、すべての知識、行動は、祖先から受け継がれているし、困ったときは、その導きが神や祖先からいただけるものと思っていますが、あなたもそう同じように考えられますか?
すべての自然には、あらゆる神が存在し、その神を恵みをいつも頂いていて、緑の恵みをいただくときは、必ず許可を求めて、許しを乞うことができますか?
もし1つでも「そんなわけないよ」と思っているのであれば、私たちが思っているHulaとは違います。
でも、それはそれでよいでしょう。一人ひとりHulaに対する解釈は違いがあるのですから。
中枢部分である「深い気持ち」が変わらない限り、何年。何十年、Hulaと向き合っても、表面だけの上達なのかもしれません。
写真は、kowali (モーニンググローリ)、つまり「あさがお」のこと。
風が吹くと、踊っているように見えるので、Oliでよく用いられています。
| S | M | T | W | T | F | S |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | |||
| 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
| 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
| 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
| 26 | 27 | 28 | 29 |